令和3(2021)年8月15日付毎日新聞朝刊の記事。

 戦前、満州国のすぐ南に日本の租借地である大連市に盲啞學校がありましたが、敗戦直後の昭和20(1945)年11月に廃校になりました。

 学校の存在自体が歴史に埋もれかけようとした時、紫陽花まき著の『難聴者から見た満州の真実』に出会いました。そして、卒業生の一人である太田節生さんが神戸市の片隅に生きていらっしゃると判り、写真の提供を受けたのをはじめとして、度々お邪魔させて頂き、当時のことをお話いただき、収録しました。

 令和3(2021)年8月22日、コロナ禍の緊急事態宣言下、60数名の参加者の感染予防のため、兵庫県民会館けんみん大ホールに急遽、会場を移し「緊急企画 戦争特集(聾啞史に触れる)大連盲啞學校」を開催いたしました。

 その時、2つの奇跡が起きました。一つは福岡市から来られたろう夫妻の中国人の奥様が今の中国の大連盲唖学校の卒業生であったこと。

 もう一つは、閉会後に来場者から情報を頂いたこと。大連盲啞學校同窓会の名簿に記載されてないろう高齢女性の存在でした。敗戦時は初等部一年で、混乱の最中、帰国されており、大連盲唖学校を知る人に出会えず、学校について書かれた本を探しても見つからない、知っている人に会いたいとのこと。

 2つの出来事にいたく衝撃を受け、卒業生、在校生や関係者の話を掘り起こし、各地に埋もれているであろう写真や史資料を収集してDVDや本にして後世に残さなくてはという想いから設立の運びとなりました。

 皆さん、ご支援ご協力よろしくお願い申し上げます。

昭和12(1937)年7月26日にヘレン・ケラー女史が来校。

その年に太田節生氏が入学。

 「大連盲啞學校史を記録・保存する会」の発起人になって頂いた5名からの挨拶(手話)です。

先ずは発起人代表太田節生氏です。

『難聴者から見た満州の真実』の著者紫陽花まきこと永江眞樹です。

近畿聾史研究グループ代表新谷嘉浩氏です。

ろう者も軍艦島観光ができるよう働きかけた吉田宏氏です。奥様は中国の大連盲唖学校出身です。

一般社団法人デフサポートかもめ理事長廣川博之です。